親の家を売却するタイミングとしては、以下に紹介する二つの大きな状況が考えられます。 こうしたタイミングでは、感情的な負担も大きいかもしれませんが、家の資産価値や維持費を考え、早めの判断が求められます。 親が亡くなった時 親が亡くなった後、相続した家を売却することがあります。 この場合、まず相続手続きを済ませてから売却を進めることになりますが、相続手続きには遺産分割協議や相続登記などが含まれ、複数の相続人がいる場合は全員の同意が必要となります。 相続税の申告期限や物件の状態、不動産市場の動向なども考慮しながら適切なタイミングで売却を検討することが重要です。 また、親の生前の意思や家族の思い出が詰まった家を手放すことには心理的な負担も伴うため、家族間で十分な話し合いを行うことが不可欠です。 不動産売却の際に、相続した不動産の評価額や譲渡所得税の計算方法、特別控除の適用条件なども確認する必要があります。 さらに、相続開始から3年10ヶ月以内に売却する場合は特別控除が適用される可能性があるため、このような税制面のメリットも考慮に入れるとよいでしょう。 専門家のアドバイスを受けながら慎重に進めることで、法的手続きを適切に行い、税金面での最適化を図りつつ、家族全員が納得できるスムーズな売却につながります。 親が老後施設に入った時 親が介護施設や高齢者向けの施設に入居する際、自宅の維持や管理が困難になることはよくあり、空き家のまま放置してしまうリスクが高まります。 空き家の状態を維持するだけでも固定資産税や維持費がかかるため、このような時は、家を売却して資産に転換することを検討するタイミングと言えるでしょう。 介護施設の入居費用や生活費、医療費などが重くのしかかることから、自宅を売却してこれらの費用に充てることも多く、特に長期にわたる施設での生活を見据え、資産を早めに整理しておくことは将来的な家族の負担を軽減する有効な手段ともいえます。 家を売るタイミングは、その時期や市場の動向を考慮しながら専門家のアドバイスを受けることが重要ですが、同時に親の意思や感情にも十分配慮する必要があります。 長年住み慣れた家を手放すことへの心理的な抵抗感や、将来自宅に戻る可能性を考慮し、一時的な賃貸などの選択肢も検討するとよいでしょう。 また、売却を決断する際は、親の判断能力が十分なうちに意思確認を行い、必要に応じて成年後見制度の利用も視野に入れることで、より円滑な手続きが可能となります。 親の老後施設入居に伴う家の売却は、経済的側面だけでなく、法的・感情的な側面も含めて総合的に判断することが大切です。 親の家を売る3つの方法 親の家を売却する際には、状況や家族の事情に応じて、主に3つの方法が考えられます。 これらの選択肢は、それぞれメリットとデメリットがあるため、家の状況や家族のニーズに合わせて適切な方法を選ぶことが大切です。 相続して売る【親が亡くなっている場合】 親が既に亡くなっている場合、まず相続手続きを済ませてから売却を進めることになり、この過程では相続人全員の同意が必要となるため家族間での十分な話し合いが重要です。 相続手続きには遺産分割協議書の作成や相続登記など複数のステップがあり、相続税の申告期限(故人の死亡を知った日の翌日から10ヶ月以内)にも注意が必要です。 売却までの流れとしては、まず戸籍謄本や除籍謄本を取得して相続人を確定し、遺言書がある場合はその内容を確認した上で遺産分割協議を行い、必要に応じて相続登記を完了させます。 その後、不動産業者に依頼して物件の査定を行い、適切な価格設定のもとで売却活動を開始します。 なお、相続した不動産を売却する際は譲渡所得の特別控除(相続開始があった日の翌日から3年10ヶ月以内に売却した場合、最高3,000万円)が適用される可能性があるため、この期限を意識しながら売却を進めることが有利となる場合があります。 また、相続税の納税猶予制度を利用している場合は、売却によって猶予が打ち切られる可能性があるため注意が必要です。 さらに、相続人が複数いる場合は売却代金の分配方法についても事前に合意を得ておくことが重要で、これにより売却後のトラブルを防ぐことができます。 このように、相続して売却する場合は法的手続きや税務面での配慮が必要となるため、弁護士や税理士、不動産専門家など複数の専門家に相談しながら慎重に進めることが、スムーズな売却と相続人全員の利益を守ることにつながります。 親の代理人として売る【適切な意思疎通ができる場合】 親が健在で適切な意思疎通ができる場合、子どもが親の代理人として売却手続きを行うことができます。 この方法では、親が売却の意思決定を行い、子どもに具体的な手続きを委任します。 まず、親が子どもに売却手続きを委任する旨の委任状を作成し、不動産売却に関する具体的な権限の内容を明記して親の実印を押印する必要があります。 委任状と併せて、親の印鑑証明書や実印、本人確認書類のコピーなども準備し、代理人となる子どもも本人確認書類や印鑑証明書を用意します。 売却手続きにおいては、不動産業者との交渉や契約書の作成、決済時の立ち会いなど、多くの場面で代理人が親の代わりに対応することになりますが、重要な意思決定については必ず親と相談し、親の意向を尊重することが大切です。 また、他の相続人となる可能性のある家族メンバーにも事前に説明し、理解を得ておくことで、将来的なトラブルを防ぐことができます。 なお、代理人として売却を進める場合でも、最終的な売買契約書への署名や印鑑の押印は原則として本人(親)が行う必要がありますが、親が契約書に署名できない場合は、代理人が署名し、親の記名押印をするという方法もあります。 ただし、この場合は事前に買主の了承を得ておくことが重要です。 相続での売却と同様に、司法書士や弁護士などの専門家に相談しながら適切な手続きを踏むことで、より安全に取引を進めることができるでしょう。 成年後見人として売る【適切な意思疎通が難しい場合】 認知症などの理由で親との適切な意思疎通が難しい場合、成年後見制度を利用して売却手続きを進めることができます。 成年後見制度は判断能力が不十分な方を法律的に保護し支援する制度で、この制度を利用する場合はまず家庭裁判所に成年後見人の選任を申し立てる必要があります。 申し立ては本人の配偶者や四親等内の親族が行うことができ、時には専門家や法人が成年後見人に選任されることもあります。 成年後見人に選任されると本人(親)の財産管理や契約行為を代行する権限が与えられますが、成年後見人が単独で不動産を売却することはできません。 不動産の売却は本人にとって重要な財産処分にあたるため家庭裁判所の許可が必要となり、売却の必要性や妥当性を示す資料(本人の生活状況、財産状況、売却理由など)を準備し、家庭裁判所に「居住用不動産処分許可の審判」を申し立てます。 家庭裁判所から許可が下りた後に実際の売却手続きを進めることになり、不動産業者との交渉や契約書の作成、決済などすべての手続きを成年後見人が本人に代わって行います。 売却後は得られた資金の管理も成年後見人の重要な役割となり、本人の生活の質を維持・向上させるために適切に資金を運用することが求められます。 なお、成年後見制度を利用する場合は手続きに時間がかかることや家庭裁判所への報告義務があることなど通常の売却とは異なる点がいくつかあり、成年後見人の報酬など追加の費用が発生する可能性もあるため、他の方法と同様に、弁護士や司法書士などの専門家に相談しながら進めることをお勧めします。 成年後見制度を通じた不動産売却は本人の利益を最大限に守りながら行う重要な手続きであり、慎重かつ適切に進める必要があります。 親の家を売る際にかかる税金とは? 親の家を売却する際には、いくつかの税金が発生し、これらの負担を事前に把握しておくことが重要です。 主な税金は以下の通りです。 譲渡所得税 譲渡所得税は、不動産を売却した際に発生する利益(譲渡所得)に対してかかる税金です。 この税金は、売却価格から取得費や譲渡費用を差し引いた金額に課税されます。 譲渡所得税は、大きく分けて所得税と住民税の2種類があり、それぞれ国税と地方税として課税されます。 譲渡所得税の税率は不動産の保有期間によって異なり、5年を超えて保有していた場合は「長期譲渡所得」として扱われ、比較的軽い税率が適用されますが、5年以下の保有期間の場合は「短期譲渡所得」として、より高い税率が課されます。 親の家を相続して売却する場合、「相続財産を譲渡した場合の取得費加算の特例」や「相続開始から3年10ヶ月以内の譲渡の場合の3,000万円特別控除」などの特例措置が適用できる可能性があります。 これらの特例を活用することで、税負担を軽減できる場合があるため、専門家に相談して最適な方法を検討することが重要です。 住民税 住民税は、譲渡所得に対して課税される地方税です。 一般的に、譲渡所得に対する住民税の税率は4%となっています。 この住民税は、不動産の譲渡所得に対して所得税と併せて課税され、売主の住所地の都道府県や市区町村に納付されます。 住民税の課税対象となる譲渡所得の金額は、原則として所得税と同じ計算方法で求められます。 所得税で適用される特別控除(例:3,000万円特別控除)は住民税でも同様に適用されるため、実際の課税額が軽減されることがあります。 重要な点として、住民税は通常、譲渡した年の翌年の住民税として課税されます。 そのため、売却後の翌年の税負担に注意が必要です。 納付方法は自治体によって異なる場合があるため、詳細は各自治体の税務課に確認することをおすすめします。 所得税 所得税は、不動産の譲渡所得に対して課税される国税です。 長期譲渡所得(所有期間が5年を超える場合)に対する基本的な税率は15%です。これに加えて復興特別所得税として0.315%が上乗せされるため、実質的な税率は15.315%となります。 一方、短期譲渡所得(所有期間が5年以下の場合)に対する税率は30%で、復興特別所得税を含めると30.63%となり、長期譲渡所得と比べて大幅に高くなります。 譲渡所得の計算方法は、売却価格から取得費、譲渡費用、特別控除額を差し引いて行います。 確定申告の際には「譲渡所得の内訳書」を提出する必要があり、ここで取得費や譲渡費用の詳細を記入します。 取得費が不明な場合は、売却価格の5%を概算取得費として使用することも認められています。 高額な譲渡所得が発生した場合は、予定納税が必要になることがあります。 所得税の計算や申告は複雑な場合が多く、特に特例措置の適用や複数の不動産を売却する場合など、状況によっては税務の専門知識が必要となる場合があります。 印紙税 印紙税は、不動産売買契約書に貼付する収入印紙にかかる税金です。 この税金は、契約書の作成者が負担することになり、通常は売主と買主で折半します。 印紙税の税額は契約金額に応じて段階的に変わります。 例えば、契約金額が1,000万円を超え5,000万円以下の場合は2万円、5,000万円を超え1億円以下の場合は6万円となります。 (租税特別措置法により、不動産の譲渡に関する契約書について、印紙税の軽減措置が講じられ、税率が引き下げられています。 軽減措置の対象となる契約書は不動産の譲渡に関する契約書のうち、記載金額が10万円を超えるもので、平成26年4月1日から令和9年3月31日までの間に作成されるものになります。 詳しくは国税庁のホームページでご確認ください。) 印紙税は契約書作成時に納付する必要があり、契約書に収入印紙を貼り付け、その印紙に契約日などで割印をすることで納付が完了します。 電子契約の場合は、電子署名を付与した後に印紙税相当額を納付します。 印紙税は比較的少額ですが、適正に納付しないと追徴課税などのペナルティがある可能性があるため、注意が必要です。 登録免許税 登録免許税は不動産の所有権移転登記を行う際にかかる税金で、原則として固定資産税評価額の2%となっています。 この税金は通常買主が負担しますが、売買契約の内容によっては売主が負担することもあります。 (なお、令和6年度の税制改正により、登録免許税の税率の軽減措置について、その適用期限が延長されています。 詳しくは国税庁のホームページでご確認ください。) 税額の計算基準となる固定資産税評価額は毎年1月1日時点の価格が使用されます。 登録免許税は不動産の引き渡し時ではなく実際に登記を行う際に納付し、通常は司法書士が代行して納付を行いますが、自分で手続きを行う場合は登記申請書と共に納付書を法務局に提出し指定の金融機関で納付することになります。 親の家を売る時の注意点 親の家を売却する際には、いくつかのポイントに注意しなければなりません。 法律的な手続きや税金に関する知識が不足していると、後々トラブルに発展する可能性があるため、しっかりと確認しておきましょう。 残置物の撤去を行う 親の家を売却する際には、売却前に家財道具や不用品の処分を行い、スムーズな引き渡しができるよう準備することが重要です。 残置物の撤去は、単に物を片付けるだけでなく、売却価格や売却期間にも影響を与える重要なプロセスです。 まず、家の中にある物品を整理し、売却可能なもの、処分するもの、家族で保管するものに分類します。 売却可能な物品はリサイクルショップやオークションサイトを利用して現金化することができます。 大型家具や電化製品など、自力で処分が難しいものは専門の廃品回収業者に依頼することをお勧めします。 なお、処分にはある程度の費用がかかるため、事前に予算を確保しておく必要があります。 また、思い出の品や重要書類の見落としがないよう、家族で協力して丁寧に作業を進めることが大切です。 残置物の中に貴重品や相続に関わる重要書類が含まれている可能性もあるため、慎重に確認作業を行いましょう。 さらに、庭や物置などの屋外スペースも忘れずにチェックし、不要な物は撤去します。 最終的に家屋内をくまなく掃除し、きれいな状態で引き渡せるよう準備することで、買主の印象も良くなり、スムーズな売却につながります。 残置物の撤去は時間と労力がかかる作業ですが、売却をスムーズに進める上で非常に重要なステップです。 早めに着手し、計画的に進めることをおすすめします。 契約不適合責任 契約不適合責任とは、売却後に物件に隠れた瑕疵(かし)が見つかった場合に売主が負う責任のことを指します。 2020年4月の民法改正により、従来の「瑕疵担保責任」から「契約不適合責任」に名称が変更されました。 この責任は、引き渡された不動産が売買契約の内容に適合していない場合に生じます。 例えば、雨漏りや地盤の問題、建物の構造上の欠陥などが後から発見された場合が該当します。 買主は、これらの不適合を知った時から1年以内に売主に通知することで、修補や代金減額、損害賠償などを請求することができます。 ただし、売主の責任には期限があり、不動産の引き渡しから10年で時効となります。 ※民法上は不適合を知った時から1年と定められておりますが、実際の個人間取引では引き渡しから3ヶ月と定めることが取引慣行上多い事例となっております。 親の家を売却する際には、可能な限り物件の状態を事前に調査し、知り得た情報はすべて買主に開示することが重要です。 また、売買契約書に契約不適合責任の範囲や期間を明記することで、将来的なトラブルを防ぐことができます。 特に古い家屋の場合は、建物状況調査(インスペクション)を実施し、その結果を買主に提示することで、責任の所在を明確にすることができます。 さらに、売主が個人の場合、特約により契約不適合責任を負わない旨を定めることも可能ですが、その場合でも故意または重大な過失による不適合については責任を免れることはできません。 契約不適合責任は複雑な法的概念を含むため、不動産取引の経験が豊富な不動産業者などに相談し、適切な対応を取ることをおすすめします。 確定申告を必ず行う 不動産の売却益は確定申告が必要です。 売却した年の翌年の2月16日から3月15日までの期間内に、適切な申告を行うことが重要です。 確定申告を怠ると、加算税や延滞税が課される可能性があるため注意が必要です。 申告の際には、「譲渡所得の内訳書」を作成し、売却価格や取得費、譲渡費用などを正確に記入します。 取得費が不明な場合は、売却価格の5%を概算取得費として使用することができます。 また、売却した不動産が居住用財産である場合や相続した物件である場合は、特別控除が適用される可能性があります。 例えば、居住用財産を売却した場合の3,000万円特別控除や、相続した空き家を売却した場合の特別控除などがあります。 これらの特別控除を適用することで、課税対象となる譲渡所得を大幅に減らせる可能性があるため、条件を確認することが重要です。 さらに、確定申告の際には、売買契約書や登記簿謄本、諸経費の領収書など、必要書類を漏れなく準備する必要があります。 特に、取得時の状況や改築・修繕の記録などは、取得費や譲渡費用の証明に重要となるため、できる限り詳細な資料を集めておくことをおすすめします。 確定申告は単なる義務ではなく、適切に行うことで不要な税負担を避けられる重要な機会でもあります。 親の家の売却に関しては、多くの方が同じような疑問を持つことがあります。 ここからは、親の家を売る際によく寄せられる質問とそれに対する回答を紹介します。 親の意思疎通ができる場合でも決済で親の立ち会いが難しい場合はどうすればいいの? 親の意思疎通ができる場合でも、決済時に親自身が立ち会うのが難しいことがあります。 たとえば、健康上の問題や移動が困難な場合、あるいは住んでいる場所が遠方で物理的に現場に行けないといったケースが考えられるでしょう。 このような状況においても、問題なく売却手続きを進める方法はあるのでしょうか? 親が事前に司法書士と面談すれば大丈夫 親が事前に司法書士と面談し、委任状を作成することで、決済時の立ち会いなしで手続きを進めることができます。 この方法は、親の体調不良や遠方在住などの理由で、決済日に直接立ち会うことが困難な場合に特に有効です。 司法書士との面談では、売却の意思確認や取引内容の説明が行われ、親の意思を正確に反映した委任状が作成されます。 この委任状により、子どもなどの代理人が親に代わって契約書への署名や重要事項の確認を行うことが可能となります。 ただし、司法書士の出張費として別途費用がかかる場合がありますので、事前に確認しておくことをおすすめします。 また、委任状の有効期限や使用範囲についても十分に確認し、必要に応じて複数の委任状を用意することも検討するとよいでしょう。 このような手続きを踏むことで、親の意思を尊重しつつ、円滑な不動産売却を実現することができます。 親の代理人として契約する場合に必要な書類とは? 親の家を売却する際に代理人として契約を進める場合、どのような書類を用意する必要があるのでしょうか? 委任状や印鑑証明書、身分証明書など、さまざまな書類が必要とされていますが、具体的にどれがどういった目的で使われるのか、またその準備方法についても詳しく知りたいところです。 必要な書類を揃えるためのポイントや、準備に際しての注意点についても把握しておきましょう。 親の代理契約は可能 必要なもの 親の代理人として契約する場合、以下の重要書類を準備する必要があります。 ・委任状 ・親の印鑑証明書 ・親の身分証明書 ・権利書のコピー明 ・代理人の印鑑証書 ・代理人の身分証明書 まず、親から代理権を付与されたことを証明する委任状が不可欠で、この委任状には、売却する不動産の所在地や売却の条件などが明確に記載されている必要があります。 次に、親の本人確認と意思確認のために、親の印鑑証明書と身分証明書が求められます。 印鑑証明書は3ヶ月以内に発行されたものを用意し、身分証明書は有効期限内の運転免許証やパスポートなどを使用します。 また、不動産の所有権を証明するために、権利書(登記識別情報)のコピーも必要となります。 これらに加えて、代理人自身の本人確認書類として、代理人の印鑑証明書と身分証明書も要求されます。 代理人の印鑑証明書も3ヶ月以内に発行されたものを使用し、身分証明書は親と同様に有効期限内のものを準備します。 これらの書類を全て揃えることで、親の代理人として適切かつ合法的に契約を進めることが可能となります。 なお、不動産会社や金融機関によっては、追加の書類を求められる場合もあるため、事前に確認しておくことをおすすめします。 そして、これらの書類には個人情報が多く含まれているため、取り扱いには十分注意を払い、セキュリティに配慮した管理を心がけることが重要です。 書類を全て準備することで、親の代理人として適切に契約を進めることができます。 江戸川区最大の特徴は、区民の平均年齢が23区で一番若い41.4歳だということです。 これは特に子どもの多さが数字に反映されているためで、平成24年1月1日現在の東京都区市町村別年齢別人口データでは、0~14歳の人口比率が約17%を占めています。 国勢調査のデータでは、夫婦と子供世帯が28.3%、4人以上家族が19.0%、三世帯も3.35%といずれも23区でトップとなっています。 合計特殊出生率も1.45で23区平均1.16を大きく上回っており、江戸川区はまさに子育てファミリーが集まった区と言えます。 江戸川区と言えば、都内東部のウォーターフロント地区で下町を代表する区の1つですが、かつては大型台風の直撃や太平洋戦争による家屋焼失など甚大な被害を受けたこともあります。

海抜ゼロメートル地帯と揶揄され、津波や洪水によるリスクの高さが危惧されていますが、 そのデメリットをはね返す都心や千葉中心地へのアクセスの良さや自治体による手厚い子育て支援の数々、 手ごろな不動産価格を前面に打ち出したウォーターフロントエリアの住宅開発で、子育てがしやすい区として若い世代の大量流入に成功しました。 ディズニーランドへ行きやすい場所だということも子育てファミリーにとっての魅力の1つかもしれません。 支援制度は子育てファミリー向けだけではなく、熟年者対象の「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなどもあります。 区のスポーツセンターも温水プールを始めとしてその設備はとても充実しています。 やはり海抜ゼロメートルエリアが多く、天災時のリスクの高さからくるものです。 しかし家賃の安さで外国人も数多く住んでおり、国際色が豊かな一面もあります。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園には、緑があふれ砂浜が広がっており日本の渚百選にも選ばれました。 他にも動物園のある公園があり、区内の公園面積は756haで23区で1位となっています。 水族園で魚を見ることもできます。 区内を流れる江戸川や中川でものびのび遊ぶことができます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜が完成、新川千本桜も2013年に整備が完了し、花見スポットとして多くの区民が訪れる場所となりました。 若い世代の流入が活発な江戸川区ですが、元々は江戸時代から庶民の町として栄えた、長い歴史を持つエリアです。 伝統工芸品や特産物も江戸川区にはあります。 江戸切子は東京の下町だった江東区、江戸川区、墨田区で主に製造されている東京の伝統工芸の1つです。 硝子の表面に金磐や砥石を使って、色々な模様をカットする技法です。 18世紀始めごろから、鏡、メガネ、風鈴等が製造されるようになり、明治時代に入ってから欧州の技術を導入し近代化され、東京の地場産業になりました。 平成14年に東京都伝統工芸品に指定され、平成26年に経済産業省より国の伝統工芸品に指定されました。 江戸川区を代表するもう一つの産物は小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜が入ったすまし汁をとても気に入り、その村の名前を取って名づけたのが始まりだといわれています。 現在も作付面積は江戸川区が1位です。 カルシウムや鉄分を多く含み、今では全国どこでも1年中食べることができる野菜になりました。 現在、江戸川区ではこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生食ができる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、人口増加が著しく若い世代に人気がある江戸川区ですが、治安面を不安視する声も少なからずあります。 子どもが多く、激安スーパーもあり、都心へのアクセスが便利だというメリットは、侵入窃盗や車上狙いなどの犯罪件数の多さにつながっています。 また江戸川区は区の北側に鉄道路線が通るだけで交通アクセスが悪く「陸の孤島」と呼ばれた時期が長く続きました。 1969年に東西線が開通、1983~1986年にかけて都営新宿線が開通してから、この問題は徐々に改善されつつあります。 現在都心と千葉方面を結ぶ東西ラインは充実していますが、区の南北をつなぐ鉄道路線はなく移動手段はバスのみとなっています。 バス路線を増やす措置がとられていますが、1世帯あたりの乗用車保有率は、23区内5位からもわかるように、車が生活の必需品であることがわかります。 杉並区は23区の西部にあります。 区の名前の由来は青梅街道沿いに植えられた杉並木ですが、現在その並木はありません。 杉並区は関東大震災後に多くの人が杉並に移り住んで以来、郊外の住宅地として発展してきました。 緑被率が23区3位という高さや人口密度が11位というデータを見れば、ゆとりがある住居が建ち並ぶ街だと想像することが出来ます。 杉並区は、震災後移住した人たちの中でも富裕層の人たちが、防災面を考えて都内の中心エリアに戻らずに、 この杉並に留まり広い邸宅を構えて優雅な暮らしを送ったことに端を発しています。 戦前から作家や画家といった文化人も多く住んでいました。 主婦の就業率が23位で専業主婦の比率が最も高い街、シングルマザー率が低い、離婚率が23位、 区内の高校卒業者の大学進学率が高いことからもわかるように、杉並区は東京の山の手を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけに留まりません。 鉄道路線沿いには、安くて魅力的な店が建ち並び若者が多く住むエリアもあります。 有閑マダムだけではなく意外と若者も多い 杉並区の特徴 杉並区には、山の手代表エリアに匹敵する別の魅力があります。 専業主婦が多く、広い住まいでゆったりと優雅に暮らすのが杉並区の全てではありません。 杉並区に住む年齢別住民の割合で18~29歳の若者の割合は、男性が4位、女性2位、総合3位となっています。 このように数の多い若者は中央線沿線、吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多く住んでいます。 これらのエリアには個性的な雑貨店、古着屋、古本屋やジャズ喫茶、ライブハウスなどが多く建ち並んでいます。 そして大きな商店街があり生活がしやすく、また新宿へのアクセスも乗り換えなしで移動できる利便性の高さがあります。 昭和の高度成長期時代に生まれ育った人にとっては、広い敷地がある一戸建ての住まいで優雅に過ごすのが杉並のライフスタイルといえそうですが、 20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、雑貨店に囲まれて、毎日刺激を受けながら生活が楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が杉並区を住みたい人気エリアにした理由と言えます。 このような2つの風土が受け継がれ上手く融合し、独特の杉並文化が生まれ育っています。 現在、杉並区では音楽を通じた街づくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年行われる音楽祭など、杉並区は音楽が盛んな町としてそのステイタスを築いています。 そしてアニメを地場産業の1つととらえ、その発展支援にも努めています。 杉並区を代表する音楽活動の一つに荻窪音楽祭ああります。 21世紀の荻窪を考える会が主催となりクラッシック音楽の演奏会を通じて、荻窪のイメージ向上に貢献してきました。 音楽祭は、荻窪駅周辺の銀行や協会、音楽スタジオ、喫茶店などのさまざまな場所で期間限定で行われます。 イベントは、ボランティア方式で運営スタッフを募って開催されています。 無償報酬のスタッフ以外に、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募って音楽祭の開催資金を調達します。 運営側と演奏者に分かれて区民が一体となって開催する荻窪音楽祭は町おこしの一つとして、平成28年度で28回目を迎える一大イベントに成長しました。 荻窪音楽祭以外に有名な音楽イベントには、阿佐ヶ谷ジャズストリートがあります。 1995年にスタートした当時は、小学校の体育館や企業のロビー、ライブハウスなどの13会場で行われましたが、現在は開催場所も60ヶ所以上と規模が拡大しました。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地域住民によるボランティアで運営されています。 国際的にもクオリティの高い日本のアニメは、全国600ヶ所あると言われているアニメスタジオの内70以上がここ杉並区にあります。 アニメ産業関連会社が数多く杉並で創業した理由は自分の住まいを確保したから、交通が便利だったが多くなっています。 都心へのアクセスが便利だけでなく、緑あふれる静かで広い環境の中で制作に没頭しやすいのが杉並区です。 杉並区は、全国でも初めてアニメを区の地場産業と位置づけてその発展を支援しています。 2014年3月、鉄道路線の高架下に阿佐ヶ谷アニメストリートというアニメ関連のショップが集まった施設を開設しました。 また日本のアニメの歴史を紹介するアニメーションミュージアムもオープンし、展示だけでなくワークショップ開催やアニメの上映会など多彩なプログラムを提供しています。 またアニメウォークと称したまち歩きイベントもあります。 このイベントはアニメを造る側と見る側が相互に交流できる場として、アニメ産業の発展をサポートしています。 練馬区は、1947年8月、22区制だった頃の板橋区から分離独立して発足しました。 23区内で第5位の面積と第2位の人口を有する練馬区は東京の西北部にあり、23区内でも最も標高が高い場所にあります。 現在も農園が数多くあることから、「みどり豊かな区」のイメージを描く人が多いのですが、農地ばかりでなく公園なども多い区です。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の1つです。 2013年1月現在の農地面積は23区中1位の240ha、この広さは23区全体をあわせた607haの4割近くになります。 農家の数は372戸でこれも1位ですが、経営耕地面積は0.3ha以下の農家が33%、農業収入額も0~49万円までという農家が約4割、 500万円未満が約9割というデータを見れば、大規模な農業を行っている人は少ないことがわかります。 そして1975年に農地面積が746ha、農家数が1342戸あったことを考えれば、農業は衰退していることは明らかです。 農業の他に練馬の知名度を上げたものには、アニメがあります。 この練馬には、90社以上のアニメ関連企業や大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスが便利、緑豊かな環境、家賃が安いことなどが、 漫画家を志す人たちの住まいさがしの条件に当てはまり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業はその地の特産物がブランドとなることが多いのですが、かつて練馬にも練馬を代表する野菜大根がありました。 練馬大根は、江戸時代より生産が盛んに行われており、明治時代に入り、 日清戦争や日露戦争によってその需要が高まり国内外にその名前が知られるようになりました。 大正時代に入ると首都東京へ人口が集中するようになります。 この頃から、練馬エリアが都心を消費地とした農産物の供給地となり、年々その役割を高めていくことになりました。 大根の生産も、この頃盛んに行われています。 鉄道の開通で流通が活発化したことで、練馬の農業は拡張期を迎えました。 練馬大根の最盛期は明治末期から昭和初期にかけての約25年間と考えられています。 昭和に入り戦争が終結すると、それまでたくあんの大口納入先だった軍の解体に伴い、大根の生産は減少し始めます。 大根の収穫は重労働だったこともあり、農家は大根からキャベツへと生産の主体を移行していきました。 現在、練馬では大根はほとんど生産されていません。 農地面積は昭和50年の745.6haから減少し、平成24年度現在では、3分の1以下の239.8haになりました。 練馬区内の農家戸数・農業従事者は昭和50年1,342戸、7,232名から、平成24年には498戸、1,075名に減っています。 現在の練馬の農業産物を面積で比較しますとキャベツを含む野菜類が15,776 ha、カキ、ブルーベリー、 ブドウなどの果樹類が3,191 ha、その他の植物が3,549 haとなっています。 平成23年度の東京都区別の土地利用面積資料によれば、練馬区の農用地利用率は区全体の面積の5.1%で第1位となっています。 23区内で最も農業が盛んに行われているとはいえども、全体としてその規模は縮小しています。 農産物の出荷量や作付面積は減少しましたが、練馬区ではこれまで培った農業のノウハウや今ある人材を活かし、観光資源として農業を活かす試みが行われています。 大都会東京に近い利便性を活かし、現在練馬区内には約30ヶ所のブルーベリー観光農園があります。 農の観光化を行い他の地域から多くの客を呼び込むことは、練馬が生き残る手段の1つとして注目されています。 また小学校の総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を小学校に積極的に開放して、 次世代に向けて農業を積極的にアピールすることも行っています。 田植え体験やカキやキーウイの樹木の選定、授粉、収穫に至るまでを体験してもらい、 子供達に農業への関心を高めてもらう活動や、小中学校の給食で出た野菜くずや食べ残しなどを肥料へリサイクルする事業が行われています。 日本のアニメーションはその技術やソフトの両面で海外から高い評価を受けるようになりました。 練馬区は、アニメ・イチバンのまちとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内にあったアニメ製作所が国内初のアニメーションを制作したのを皮切りに、 1963年のアニメのテレビ放映開始が始まりました。 当時の漫画作家や後に有名になった漫画家たちは、その大半が練馬区で制作活動を行っています。 現在も90社以上の関連会社が練馬に集結しています。 練馬区では区が主体となり、アニメ産業を戦略的に強化する方針を打ち出し、 多数のアニメ関連産業を誘致して区内産業全体の活性化を図る活動を行っています。 国勢調査による2000~2005年の中央区の人口増減率は135.7%、2005~2010年では124.8%。 両データとも全国第1位の人口増加率です。 これだけをみれば中央区は、人がどんどん増えて街全体が活気にあふれている様子が想像できます。 加えて2020年のオリンピックでは晴海に選手村が建設され、その跡地には約6000個の住宅が整備される予定です。 江戸時代から現在まで日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も順調に人が増えて日本最大のメガシティの1つとして君臨し続けそうです。 全てが順調に見える中央区ですが、ここに至るまでには数々の紆余曲折がありました。 現在増加に転じた人口は、1960から1980年の20年でその数を16万1千人から8万3千人まで減らしました。 その後失った人を取り戻すために、区主導で住宅建設を推進する数々の政策を導入した結果、1996年より人口が増加に転じ2006年には人口10万人にまで回復しました。 区内定住者の増加には成功したものの、中央区内ではその人たちの生活を支えるスーパーなどの商業施設や子育て世帯に望まれる広い公園などが不足しています。 生活に便利な住みよい街を目指した地域の整備が今後の課題と言えます。 中央区だけでなく千代田区や港区といった現在の23区のトップクラスの区でさえも、住民が減っていました。 「都市のドーナツ化現象」と呼ばれた時期にあたります。 高度成長期と呼ばれた1954年(昭和29年)から1973年(昭和48年)は、急激に都市化が進んだ時期でした。 エネルギーが石炭から石油に変わり、東京湾岸沿いに次々と工場が建設されて産業が発展しました。 都市での工業化が進み人々の所得が増えた結果、お金を持った人たちはより良い生活を求めて、 広い住宅に住みたいと思うようになり郊外に一戸建てを購入して住み始める様になりました。 この時期、都内の中心部の大企業のオフィスや工場が集まった地域では人が住みよい環境を求めてどんどん流出していったのです。 中央区では昭和32年より人口が減少に転じました。 その後バブル期に突入して中央区の土地価格が上昇したため、人口はさらに減少し、平成12年1月1日現在、69,695人まで落ち込みました。 バブル期が終わると都心の不動産が大量に放出されたことで、 比較的安値の住宅が大量に供給されるようになり都心居住者が増加するようになりました。 都心回帰現象はこうして始まりました。 1981年に定住人口10万人を掲げた中央区は、さらに1988年「定住人口回復元年」を宣言し、 中高層住宅建設への助成金や住宅購入資金の融資斡旋、区立住宅の拡充政策などを次々と政策を投入します。 長年人口減少し続けた中央区は、これらの対策が実を結んで平成10年から人口が上昇し始めました。 隅田川周辺リバーフロントエリアの住宅開発によって、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えました。 23区平均の26.0%を大幅に上回っています。 2005~2010年の6歳未満の幼児人口増加率は56.0%と驚異的な数字で23区平均5.7%に大差をつけました。 2020年東京オリンピック開催を控えて、中央区は日本全国から注目を浴びる区域になります。 人口が順調に増えている反面、生活関連施設の整備が遅れています。 以前より指摘されていた日常の買い物ができる店は未だに不足しています。 大規模なスーパーがなく、食品スーパーも多くはありません。 ミニスーパーがその数を増やし、買い物問題は少しずつ解消されています。 そして緑被率が23区内で一番低いことからもわかるように、緑がある公園の数がとても少なくなっています。 浜離宮公園を除いた公園面積比率は23区内で20位となってしまいます。 これは幼い子どもを持つファミリー世帯にとっては、子どもを気楽に外遊びさせる場所がないことを意味しており、かなり深刻な問題です。 現在中央区内には、オリンピック選手村跡地や築地市場跡といった再開発候補地がいくつかあります。 これらの広大な敷地をこれからも住宅一辺倒にするのか、緑あふれる広場が加わるのかどうかが議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によれば、昭和35年以降より千代田区では人口が減少しています。 昭和35年は千代田区には119,045人の人が住んでいましたが、その後平成8年の34,595人まで減少し続けた後、都心回帰の影響を受けて再び上昇を始めました。 平成28年1月1日現在、千代田区の人口は55,131人となっています。 東京23区の中でも主要な役割を担う千代田区を一言で表すと、昼間と夜間の人口差が最も大きい区です。 人口が多いのは昼間で、夜間との差は20倍にもなります。 日本一賑わうオフィス街には住宅がほとんどなく、夜になれば人がほとんどいなくなります。 千代田区の人口は23区内で最下位です。 住民がとても少ない区です。 夜の人口が少なく昼間の人口が多いということは、この区は昼間に大勢の人が「働きにくる場所」であることを意味しています。 千代田区は産業別に分けやすい区で、丸の内、大手町には大企業が集中したビジネス街、日比谷や有楽町は銀座の商業地域に近いことから商業・娯楽施設が集まっています。 秋葉原は電器店の集積地、神田神保町周辺は大学、各種学校が多いことから出版業、印刷業、新刊書店・古書店が数多くあります。 そして千代田区の皇居周辺には国会議事堂、最高裁判所といった国の中枢機関が集まっています。 国内最大の規模を持つ東京駅には全国から人が電車に乗って集まり、都内での仕事が終わればまた電車に乗って全国へ戻っていきます。 日本全体を動かすような政治機関や交通機関の要所があるのは千代田区です。 住民基本台帳によれば、2010年1月現在、千代田区には26,000世帯が住んでいますが、地域別で見ると、丸の内が1世帯、霞ヶ関が5世帯、千代田区70世帯となっています。 以上の地域はオフィス街や皇居の所在地で住居エリアがとても少ない場所です。 住民がいるエリアは、最も世帯数が多いのが外神田の1,800世帯で、以下、富士見、神田神保町、一番町と続き、上位9位以内に千代田区の世帯数の半数が入っています。 世帯数が多いエリアではどのような人口の推移が見られるのでしょうか。 現在の千代田区は、戦後間もなくアメリカ主導で再編され誕生しました。 当時の旧麹町地区と旧神田区が合体して出来たのが現在の千代田区です。 旧麹町地区エリアは現在の丸の内や大手町、永田町、霞ヶ関ですが、これらの地域は江戸時代に大名屋敷があった場所です。 そして旧神田地区は、庶民の町として商売が盛んに行われていました。 神田地区では、商業が小売業と卸売業の2業種に分かれてそれぞれ発展してきました。 神保町の商店街、御茶ノ水の楽器街、秋葉原の電気街は小売業が集まった地域、神田の岩本町には衣料品の卸売業者が集まっています。 他には金物、医薬品といった特定業種の卸売を行っているエリアもあります。 千代田区の卸売業は中央区と並ぶ問屋の集積地と言われており、現在この2区内には23区内の卸売事業所の2割以上があります。 千代田区には、元々お屋敷エリアだった場所と昔から商売の盛んだった2つの地域があり、それらが一緒になって1つの区になったという経緯があるのです。 千代田区の人口推移は、北側の日本橋エリア、南側の京橋エリア、隅田川対岸の佃・月島エリアの3つに分けてみれば、どの地域で人口が伸びているかが分かりやすくなります。 2000~2010年の人口増加率は、日本橋エリアで105%、京橋エリアが70%、佃・月島エリアが51%でした。 日本橋エリアの中には、神田も含まれています。 旧商業地域だった日本橋エリアが現在も人口増加のポイントになる区です。 日本橋は卸売業者が多かったエリアですが、時代と共に業者はそこに一緒に住み込んでいた従業員と共にエリア外へと移動していきました。 その跡地にマンションなどの大規模住宅が建設されたことが日本橋エリアの人口増加率上昇につながりました。 今後もこのエリアの人口が増加すれば、千代田区の活性化につながるものと期待されています。 昼間区民の活力を利用し区の行政改革を行って生み出した財源を活用して、千代田区では独自性を持った施策を実行してきました。 幼保一元化園の創設や区立の中高一貫高創設は、全て千代田区から始まりました。 また高校生医療費助成制度の実施を大都市圏で最初に始めています。 将来においても、引き続き少子高齢化に対応すべく地域コミュニティの結束を深め、区内それぞれの地域にある魅力や特性、 皇居を始めとした観光資源を存分に利用して住みよい街づくりを目指しています。

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