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品川区の城南地区にある高台五か所、御殿山、八ツ山、池田山、島津山、花房山は総称して城南五山と呼ばれており、その内御殿山、池田山、花房山は高級住宅地として名高い土地です。
高級という以外にも由緒正しい土地と言える場所が池田山にあるねむの木の庭という小さな公園。
この公園は美智子皇后陛下の高校生時代の詩ねむの木の子守歌にちなんで命名され、皇后陛下のご実家である旧正田邸跡地に造られたものです。
東京都の南東部に位置する品川区は、品川地区、荏原地区、八潮地区、大井地区、大崎地区の5エリアに大別できます。
1955年から度重なる埋め立てを繰り返し、湾岸エリアを鮮やかにリデザインし続ける品川区ですが、海に面したその立地を活かして、古くから交通の要衝として文化的にも商業的にも大きな繁栄を誇ってきました。
水資源の豊かなところに人は集まります。この品川区エリアに人が住み始めたのは、縄文時代早期まで遡ると言われています。品川区の目黒川や立会川の流域に貝塚遺跡が発見されており、中でもアメリカの動物学者エドワード・S・モース博士によって発掘調査がなされた大森貝塚は有名。
歴史の教科書の記述から、品川区・大森貝塚を考古学発祥の地として記憶されている方も多いことと思います。
奈良・平安時代には、賃貸事務所が集積する現在の品川区を彷彿とさせるように、すでに交通の要地になっていた模様で、駅家も存在していたとされています。
鎌倉時代になると幕府の御家人によって街の形が整備され、室町時代の品川湊は商船の往来で賑々しく栄えました。
以降、すっかりと武蔵国への表玄関の地位を確立した現在の品川区エリアは、江戸時代になると、五街道の顔・東海道の第一の宿場として大賑わい。賃貸事務所が林立する現代の品川区とはまた違ったかたちで、文化の爛熟期を迎えていました。参勤交代で諸大名が立ち寄ると、旅籠、問屋、本陣は大わらわ。
また海に面した品川区エリアは実に風光明媚で、喜多川歌麿や鳥文斎栄之、歌川広重や葛飾北斎などの名だたる浮世絵師が、品川区を舞台に美人画や風景画を多数残しています。
そして、明治時代になるとその交通の利便性から、全国を先駆けて鉄道が敷設され、品川区は一路、近代工業化の道へ。
現在、良質な賃貸事務所が軒を連ね、ビジネス先進地へと進化し続けている品川区ですが、歴史的に見てもアクセス至便な立地環境に大きな恩恵を受けてきたことが分かります。品川区の交通アクセスについて挙げると、鉄道ではJR東日本、都営地下鉄、東京メトロ、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、東京臨海高速鉄道、そして東京モノレールなど、14線が網の目のように張り巡らされています。
空の便・羽田空港へのアクセスも良く、まさに国際都市東京のエントランスとして、品川区は見事に機能しています。